全日本弦楽コンクール

中学生部門:酒井竣ノ介さん

中学生部門の最優秀賞金賞は、ヴァイオリンの酒井竣ノ介さんです。酒井さんは、東京都内の進学校として知られる私立海城中学校に通う中学2年生。学業の負担も決して軽くはない環境に身を置きながら、どのようにしてヴァイオリンの腕を磨いてきたのでしょうか。オンラインでお話をうかがう中で、酒井さんの興味の広さと行動力にひたすら感心するばかりでした。

酒井竣ノ介さん

酒井さんと音楽との関わりは、物心がつくかつかないかという幼少期にまで遡ります。もともと2歳からピアノを習っていた酒井さんは、通っていた音楽教室でヴァイオリンと出会いました。最初は単に「かっこいい」「面白そう」と思ったことがきっかけで、4歳からヴァイオリンを習い始めたそうです。そこから約10年間、酒井さんはピアノとヴァイオリン、2つの楽器を続けてきましたが、中学受験という大きな節目を迎えた際、一度は勉強に専念することになりました。しかし、ヴァイオリンだけは受験が終わった後も迷うことなく再開したといいます。その理由を尋ねると、「ピアノは一度に多くの音を出して自分1人で演奏を完結できます。ヴァイオリンにはそれができないけれど、だからこそ他の人達と合わせる楽しさがあるところが魅力だと思っています。中学でも弦楽部に入って、みんなと演奏することを楽しんでいます」と答えてくれました。

ハイドンの『弦楽四重奏曲Op.76』に挑戦。

同期の仲間に誘われて東京シティ・フィルの先生方と演奏

今回、本コンクールへの出場を決めた背景には、中学受験を乗り越え、晴れて中学生となったタイミングで「何か新しいことにチャレンジしたい」という前向きな意欲がありました。選んだ楽曲は、ブルッフの『ヴァイオリン協奏曲 第1番』第3楽章。ロマン派を代表するこの協奏曲の中でも、特に第3楽章はエネルギッシュで華やか、かつ力強いリズムが特徴的な楽曲です。師事する戸澤典子先生も、酒井さんの明るく活動的なキャラクターに合っていると太鼓判を押した選曲でしたが、コンクールの舞台で演奏するには非常に高度な技術と表現力が求められます。特に、速いパッセージでの正確な運指や、重音における音程の精度やイントネーションの確保には相当な苦労があったようです。時には、練習中にお母さまと争いになったり、癇癪を起こしそうになったりすることもあったそうですが、「絶対に諦めないんです」とお母さまが語るように、その裏には地道な反復練習と、自分の出す音に対する妥協なき姿勢があったことは想像に難くありません。

そんな酒井さんには、ヴァイオリンがぐっと上達するきっかけとなった、あるエピソードがありました。それは小学校低学年の頃の、同門の発表会でのこと。それまで酒井さんは、120分練習すれば良い方といったスタンスで、「自分はそこそこ弾けている」と無邪気に信じていたそうです。周囲と比較することなく、昨日の自分より少し弾けるようになればそれで満足していた日々。しかしその年の発表会で、酒井さんは雷に打たれたような衝撃を受けます。年下の子も含め、周囲の同門の生徒たちが自分よりも遥かに高い技術で、堂々と演奏していると突然感じたのです。「自分はこの教室の中で、もしかすると一番下手なのではないか」。そのショックは凄まじく、なんと帰宅後に40度もの高熱を出して寝込んでしまったといいます。子ども心に受けた傷の深さが窺い知れますが、ここで終わらないのが酒井さんの真骨頂でした。翌日、一晩で熱が下がると同時に酒井さんは練習量を大幅に増やし、そこからヴァイオリンへの向き合い方が一気に変わったのです。熱を出して寝込むほどの悔しさを原動力に変える力こそが、現在の酒井さんを形作っている最大の要因と言えるでしょう。

https://youtu.be/gI6kieDlH5c

東京交響楽団の第2回子ども定期演奏会(202412月)でコンマスを務めた

もう一つ、中学1年生の時に酒井さんにとって印象的な出来事が起きました。東京交響楽団&サントリーホールの「こども定期」の出演オーディションを受けたところ、見事コンサートマスターとして合格。サントリーホールで沼尻竜典先生の指揮のものと、東京交響楽団のコンマスである小林壱成さんと席を並べて、コンマスの大役を務め上げたのでした。この貴重な体験も、酒井さんがますますヴァイオリンの腕を磨いていこうと思った原動力のひとつとなったのです。

井筒功先生のバイオリン工房「Neo Tokyo Strings」へ戸澤先生と弟子入りし、2024年、バイオリンづくりにチャレンジ

また、酒井さんにはもう一つ、ユニークなエピソードがあります。所属する学校の弦楽部での練習のために、高価な楽器を持ち歩くのはリスクがあると考えた酒井さんは、なんとヴァイオリン製作に挑戦したのだそうです。弦楽器工房に通い、数ヶ月かけて自作の楽器を完成させました。目指したのは、酒井さんが憧れる「オールド楽器」のような深みのある色合いと風合いです。

そして、この楽器を作るという工程を経たことで、酒井さんは楽器の構造を物理的に理解することになります。「それまでは弦を弾くというイメージだけだったのが、箱を響かせるということを意識するようになって、より深い音が出せるようになったかな、と思います」と酒井さん。弦が振動し、駒を伝って表板を震わせ、魂柱を通じて裏板へ、そして箱全体が共鳴して音が飛んでいく。そのメカニズムを体感として理解したことは、酒井さんの演奏にも変化をもたらしました。

本コンクールの本番では、酒井さん自身は「ミスが多く、納得のいく演奏ではなかった」と振り返ります。しかし、結果は見事に金賞。最優秀賞という栄冠を手にしました。本人は「まさか」と信じられなかったそうですが、「曲に魂を込めるイメージを持って、表情豊かに演奏させていただきました」という酒井さんの言葉通り、その情熱は確かに聴衆と審査員に届いたのです。指導にあたった戸澤先生も、当初は酒井さんを「ダークホース」と評し、まさか優勝するとは思っていなかったと驚きを隠せなかったといいますが、喜んでくださったそうです。

一方で、審査員からの講評では「もっとスケールの大きな音楽作りを」という、さらなる高みへ向かうための課題も提示されました。フレーズ一つひとつを丁寧に歌うだけでなく、それらを繋ぎ合わせ、曲全体を一つの壮大な物語として構築していく構成力。それはプロフェッショナルな演奏家への入り口とも言える高度な要求ですが、酒井さんはその指摘を真摯に受け止め、すでに次のステップを見据えています。

普段、自宅ではペットのノア(トイプードル)とたわむれながら勉強

また、酒井さんと話していて非常に興味深いのは、生活のすべてがヴァイオリン一色に染まっているわけではないという点です。酒井さんには「撮り鉄」としての一面、昆虫採集に熱中する少年としての一面、さらには料理を楽しむ家庭的な一面もあります。自宅マンションの敷地内で夜な夜な昆虫を探したり、お気に入りの電車の写真を撮りに出かけたり。そうした日常の些細な喜びや発見が、酒井さんの感性を豊かに耕していることは間違いありません。「毎日が楽しいです」と屈託なく語るその言葉に嘘はなく、多趣味であることが酒井さんの集中力や探究心を養い、結果として音楽にも良い影響を与えているように見受けられます。

進学校に通いながらのコンクール挑戦は、時間的にも精神的にも容易なことではありません。それでも、酒井さんは「どちらか」を選ぶのではなく、その時々の優先順位を見極めながら、両方を全力で楽しもうとしています。

将来の夢については、「まだ何も決まっていない」と酒井さんは語ります。ヴァイオリニストという道への憧れは強く持ちつつも、現実的に学業の道に進む可能性も視野に入れています。しかし、どの道に進むにせよ、音楽が酒井さんの人生から消えることはないでしょう。

今後の目標として、「まずは所属する学校の弦楽部をレベルアップさせたい」という酒井さん。来年、中学3年生になると、先輩達が引退してヴァイオリンの経験者が自分1人になってしまうのだそう。自分一人が上手くなるのではなく、周りを巻き込んで成長したいというリーダーシップには、酒井さんの人間的な成長も感じられます。

そして個人的な目標は、やはりヴァイオリンと勉強の両立です。これは口で言うほど簡単なことではありませんが、かつて悔しさから高熱を出した日のことを忘れず、自ら楽器を作り上げるほどの行動力を持つ酒井さんならば、きっとどのような壁も乗り越えていくことでしょう。

「音楽を通じて、言葉や文化の壁を越えて人と繋がることができるのが素晴らしい」。音楽や楽器の魅力について、そう語ってくれた酒井さん。独自のユニークな感性と、悔しさをバネにする強靭な精神力、そして何より日々の生活すべてを楽しみ尽くそうとする貪欲な探究心、そんな多感な心で捉えた世界が、これから酒井さんのヴァイオリンの音色にどのような色彩を加えていくのか。型にはまらない「ダークホース」のこれからの成長も楽しみです。

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